こんにちは、PRANAコンシェルジュ染川です^ ^

テレパシー伝達能力✨を育むことは

クォンタム・リープ=量子的飛躍
意味は意識のアップデート。

私たちは、粘土細工みたいなもの^ ^

近い将来、自己破壊に向かわないためにも、、、
2018年はとてもユニーくな地点にさしかかっているようです。

一部の個人が、ごく少数でしかも遠く隔たって、進化してきています。

ブッダ、キリスト、クリシュナ、ツァラトゥストラ、、、

現代人が、クォンタム・リープを遂げること―、
人間性の彼方へ跳び、人間性を超えること—は、

きわめて「稀」です。

ですが、、、

彼らはその道を開いた人たちですよね。

少なくとも1万年にわたって、たくさんの先駆者たちが、
突破口への可能性をもたらそうとしてきてきました――

個人のためではなく、人間意識として、全人類が
「クォンタム・リープ」を遂げられるように。

その瞬間は近づきつつある、とされています。

とりわけ西洋において、社会が、それが実現可能で現実的であるような状態に
なってきています。

人間は、あまりに貧しいので、意識という観念そのものが、
あまりに遠いもののように思えています。

現代社会の仕組みは、、、
ある面、つくりごとで、贅沢な妄想イメージを作り上げていますが、、、

富裕層の中では幾人かの金持ちたちは、それについて気づいています。
会話の内容もまた違っていて、議論し合っています。

大部分の人たちには、そのことばを理解することすら今はできない。

「クォンタム・リープ(量子的飛躍)には、ある種の豊かさが必要になります、

社会は、物質的に進化してきています。
物質的豊かさが生じるにつれ、それとは対照的な精神的貧困が
明らかになり、、、

「一方には、豊かさが、、、もう一方では、内的貧困」

ただ、多くの人は、外側で貧しく、内側でも貧しい、

それは、
苦痛でしかないですよね。

外側で豊かになると、「なぜ私は内側でも豊かになれないんの? なぜいけないの?
もし社会が、こんなにも豊かな状態になれるのなら、なぜ意識も同じようになれないの?」

そこから、探求が生まれます。

新しい世代は沸き立ってきています、、、

そして、

その「気運」は、今どんどん高まってきています。

今世紀の終わりには、大きな扉が開くだろうとも言われています。

今まさに、瞑想が重要になってきています。

「瞑想」は、仏陀の貢献です。

体を痛めつけることが問題なのではなく、、、

問題は、
もっと沈黙すること、
もっとくつろぐこと、
もっと穏やかになることだと説いています。

それは、

意識の自分自身の中心に行きつくことであり、
自分自身の意識の中心は全存在の中心だ、と知ること。

神のない宗教というアディナタ(ブッダ)の革命的な概念が、
禁欲と自虐という砂漠にまさに失われてしまったように、

瞑想

なにか内なるもの、自分以外の誰にも見ることのできないなにか、
自分がどこにいるのかは自分しか分からない、ということに気づくこと。

自分が進んでいるのかどうかは、自分しか分からない、という

仏陀の考え方も、
いつしか、、、それが組織宗教へと利用されるようになってしまっています。

最初のうちはそれでよかったのですが、、、そう仏陀が生きていた間は、です。

その間は、
自己実現、エンライトンメントに行きついた人びとがたくさんいたそうです。

ですが、仏陀が死に、弟子たちも死ぬと、人びとの瞑想を助けるはずの
組織そのものが聖職者たちの手に落ち、彼らは瞑想を助けるどころか、
仏陀の像のまわりに儀式をつくりはじめました、、、

現代の宗教団体の原点、、、ですね。

誰もに許されて、誰でもすぐにできる、、、
「瞑想」だけが残されています

本来、ブッダが残したかったもの、、、それは、

「宗教」という集団ではなく、完全に個人的なものであるということです。

これ以上のことを語ると色々と問題が生じてくるので、、、ここまでに(笑)

瞑想、、、

深く「健康」であることのアプローチ法を進めてくると、、、
やはり「瞑想」に行き着いてきます。

では、日々時間との戦いに暮らす現代人に、短時間ですぐに
瞑想を体感していただき、肉体的疲労、脳へのリラックス(断捨離)を
人生のメンテナンスにしていただきたい思いがあり、、、

健康メソッドPRANAセラピーサロンを開設し、気づきのある方に受けていただきたい
そのような思いを持っています。

ぜひ、一度でもいいので体験していただきたい、、、